Column

サーファー議員に学ぶ、海の守り方

5期連続で藤沢市議会議員を務めるサーファー議員であり、今年7月には3万人規模の集客を誇る国内最大級のサーフイベント「SHONAN OPEN 2016」の実行委員長としても活躍した佐賀和樹(ワキ)氏。

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SFJの諮問委員も務めるが、そもそも佐賀氏が政治の道を志したのは「海を守りたい」との想いからで、SFJの活動に携わるようになったのも自然な流れだったといえる。初めて議員に立候補した当初も、政治家として17年のキャリアを築いた今も、「サーファーである自分が政治家として声を上げることで、より多くの人が海に対する問題意識を持つきっかけになれば」と願う気持ちは変わらない。

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佐賀氏が初めて政治と向き合ったのは、90年代半ばのこと。当時、江の島西側の片瀬海岸を埋め立て、公園や漁港を作るという200億円規模のビッグプロジェクト「湘南なぎさシティ計画」が進められていた。しかし、周辺にはローカルが大切にしてきた「大六ポイント」があり、計画が実行に移されればその波が消失する恐れもあった。6歳の頃から鵠沼でサーフィンを楽しみ、「大六ポイント」を愛する一人でもあった佐賀氏にとって、この計画は当然許しがたいものだった。すでに片瀬山に住む作家・佐江衆一氏のグループや一部の市議らが反対運動を行っていたが、「自分達もサーファーの視点でアクションを起こすべきなんじゃないか」と考え、地元の先輩である塩坂信康プロとともに独自の活動をしようと決めた。

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とはいえ、その頃の佐賀氏は20代前半。反対運動の経験など一切なく、「何から始めればいいのか」と途方に暮れながらも「SOS(SAVE OUR SHORE)」という組織を立ち上げ、手探りで地道な署名活動やデモ行進を展開していった。すると、その運動の様子はニュースステーションなどのテレビ番組や新聞、雑誌でも大きく取り上げられ、若いサーファーが真剣に政治と向き合う姿がメディアを通じて伝わり話題を呼んだ。「仲間に呼びかけたり、ナンパに間違われないよう気を付けながら(笑)海を歩いて一万人以上の署名を集めました。また、自分達の活動や問題意識を多くの人に伝えるために、鵠沼海岸から藤沢駅まで100名以上のサーファーを率いてデモ行進もしたんです。そして最終的に、計画の見直しを求める陳情書を市に提出し、陳情を審議する議会の傍聴にも行きました。でもやっぱり、書面だけではなかなか真意が伝わらない。そう実感して、『自分がこの場で意見できたら一番早い』と思ったことが、のちに議員を目指すきっかけになりました」

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その後、「湘南なぎさシティ計画」は反対の声が高まったことやバブル崩壊の影響などを受け、最終的に中止となる。しかし、当時の反対運動を振り返って佐賀氏は言う。「もっと早く知っていれば、もっと良い対処方法があったと思う」と。「これは過去の自分にもいえることですが、何か問題が起きると『俺たちは何も知らなかった』と怒る人が多いですよね。でも、それはちょっと違うと思うんです。たとえば、消波ブロックを入れる工事が今日の明日で始まることはなく、行政は何らかの形で事前に情報を出しているはずなんです。その情報にいち早く気付けるように、たとえば市の広報をこまめにチェックするなどアンテナを張って生活することも大切だと思います」何か問題が起きてから反対の声を上げれば、相手との間に衝突が生まれる可能性が高い。しかし、問題が起きる前段階で対話ができれば、お互いが譲歩しながらスマートに解決できるケースも多いだろう。

SFJの目標も、まさにそこ。いずれ行政や企業から「頼られる団体」となり、「海に手を加える時は、まずSFJに相談してからにしよう」という流れが確立されれば、平和的に海を守れるようになるはずだ。佐賀氏も次のように語る。「実際、行政側も有識者に頼りたい気持ちはあって、今は海やサーフィンのこととなると自分に意見を求めに来ている状況なので、将来的にSFJが相談役になれれば良いですね。そして、得た情報をサーファーに広く発信していけば、『聞いてないよ』という声を減らすことにもつながるのでは。私達議員も、SFJの情報収集に協力していくつもりです」今季から佐賀氏をはじめとする各界の有識者を諮問委員に迎え、「頼られる団体」としての土台は整った。この先のSFJに必要なのは、メンバーを増やし、サーファーの声をもっと大きくすることだ。ぜひメンバーに加わり、力を貸してほしい。未来の海を平和的に守るために。

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「日本サーフィン史の草分け佐賀和光氏を父に持ち、サーフィン文化の発展と共に湘南で育った佐賀ワキ議員。経験を積み政治家として成熟期を迎えた今後は、初心に戻り海岸環境の保護に取り組み、海への想いを実現化したいと語ってくれた」SFJ代表中川

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