Interview

INTERVIEW 越後将平

この3月11日で、2011年の東北大震災から5年の月日が経った。津波によって、自身のサーフショップや家が流されて大きな被害を受けた、元プロサーファー越後将平さん。5年間を振り返って、海そしてサーフィンに対する思いを語ってもらった。

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越後将平 Shohei Echigo /  写真 横山 泰介
宮城県仙台市出身 レジェンドサーファーで老舗サーフショップ「BAREFOOTSURF」のオーナー、父・越後一雄氏のもと、幼少のころよりサーフィンと親しむ。2000年、JPSA公認プロサーファーに転向し活躍。現在は家族とともに神奈川・茅ヶ崎で暮らす。この5月から自分のウエットスーツブランド”Dusk”を展開する。

SURFRIDER FOUNDATION JAPAN (以下SFJ)
この3月11日で、東北大震災から5年が経ちましたが、越後さんにとって、どんな5年間でしたか?

越後 5年間は本当、あっという間ですね。やはりあの日のことは、すごくショッキングなことだったので、忘れないようにしてるんですけど、ただどこかで忘れたいという気持ちもあります・・・。だんだん時間の経過とともに、あの時のショックからだいぶ体と頭の中から嫌な部分が薄れてきたかなというのはありますけどね。

SFJ  津波で仙台にあった実家のサーフショップ(BARE FOOT SURF)や家など生活の基盤をすべて失ってしまった。

越後 はい。震災から3ヶ月後に、湘南に引っ越してきました。途中で妻が奈良出身なので、子どもを連れて奈良へ行ったり。ちょっと気を紛らわせに友達に会いに四国に行ってみたり・・・その後プロサーファー時代からサポート受けていた茅ヶ崎のウエットスーツメーカー「RLM」で働かせてもらうことになりました。ウエットスーツの営業、プロサーファーを続けながら、実家の店を手伝ってきました。

SFJ  三年前に、父親がサーフショップを再開した。

越後 はい、3月11日にです。最初、自分は父が店をやるのに反対してたんです。今でなくていいんじゃないかと。でも、父は「お客さんが集まる場所もない。ここで今、サーフィンができなかったとしても、オレはもうこれしかやってきてないから、やりたいんだ」と言うので。しかし、自分は後を継がないよと父にいいました。

SFJ  だけど、今はお店を手伝ったりと協力的ですね。

越後 父の店は長い歴史がありますが、このまま何も手伝わなかったら、状況はよくならない一方なので。というのは、父の店ですが、僕は高校を卒業してから、20年近くそこで手伝いをしてたので、やはり自分のお客さんもいるんですよね。僕が湘南に来たことで、そのお客さんとの距離が離れていってしまって。震災後はとにかく食べていくことに不安がすごくあったので、まずは働いて家族を養うことが優先でした。

SFJ 震災後、仙台辺りでは、どれくらいでサーファーが海に戻ってきましたか?

越後 毎年、3、4回は帰っていますが、「サーファーが増えてきたな」と思ったのは、一昨年ぐらいからですかね。去年は、7割、8割ぐらいまで戻ってきた感じはしましたけどね。

SFJ やはり震災を経験してサーフィンをやめてしまった人もいると思いますが、震災を経て越後さんの中で、「海」に対する想いの変化は?

越後 もともと父からは、「海で遊ぶのはすごく楽しいけど、やっぱり自然は怖いもんだぞ」と常々いわれていました。強風で流されてしまったこともあったし、大きな波ですごく巻かれて、「死ぬかと思った」みたいなことも当然ありました。ですから、(海の怖さは)わかっていたつもりでしたが。でも、そういう次元のものじゃない自然の脅威を感じて・・・。

SFJ 震災後、しばらくサーフィンをしていなかったとのことですが、海に戻ることに抵抗はなかったのですか?

越後 もちろん怖かった。震災後初めて千葉で海に入ったのですが、体が強張っていましたね。ただ、僕はずっと子どものころからサーフィンしかしてこなかったし。もう震災で全部流れたときに、「自分は、やっぱりサーフィンで生きていくしかない」と思ってたので。「入ってよかったな」って思いました。

SFJ あの津波をきっかけに、東北だけでなくて全国で巨大な防潮堤をつくろうという計画が出ていますが、それに対してどう思いますか?

越後 うちの前にも防潮堤はありましたが、結局、砂が動くと5メートルもある堤防が、砂がたまっていって、2メートルとか1メートルの高さにも満たないようになり全然機能しない。もしその砂がなかったとして、津波が何メートルくるかなんかわからないじゃないですか。「それって意味があるのかな?」って思います。だとしたら、それがいいかは何ともいえないですけど、やはり高台の方に住むように住宅を整備するとか。堤防では、ちょっと津波は防げないんじゃないかなというのは思いましたね。

SFJ 実際に経験した人だからこそいえることですよね。最後に全国のサーファー、そしてサーフライダーファウンデーションのメンバーの方にメッセージをお願いできますか?

越後 海で遊ぶことはすごく楽しいことだし、いろんな知り合いもできますし、人生にとってすごくいい影響をもたらします。ですが、同時に危険な面も持ち合わせています。自然の恩恵を得るには、それなりの心構えも必要だと思います。あのとき「サーフィンをやっていてよかったな」と思ったのは、サーフィン仲間が、いろいろ声をかけて助けてくれたこと。あれは、すごく心強かった。自分の役割としては、自分のコミュニティーを広げ、ぜひ、そういうところでサーフライダーファウンデーションが、サーファー同士がつながっていく場になっていくと、いいんじゃないかなと思いますね。

SFJ これからの夢は?

越後 長年お世話になったウエットスーツメーカーを退社して、この5月から、自分のブランドのウエットスーツを立ち上げます。いつかは仙台発信のブランドをつくりたいなと考えていたので。そして、ゆくゆくは父のサーフショップと地元も盛り上げたいと思います。

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Photos:Seiki Sasaki

2016年2月、ホームブレイクの仙台新港でのチューブライディング。震災ですべてを失って、「やっぱりサーフィンで生きていくしかない」との思いを強くした。

DUSK WETSUITS http://dusksuits.com

BAREFOOT SURF http://barefoot76.exblog.jp

取材・構成 : 佐野 崇

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