INTERVIEW-Vol.43 水野亜彩子

15歳からプロサーファーとして活躍して、高校生で初優勝を飾るという若くしてサーフィンの才能を開花させた水野亜彩子さん。引退した現在は、サーフィンの解説者やピラティスインストラクターとマルチに活動する。この春から、SURFRIDER FOUNDATION JAPANのPRディレクターにも就任。水野さんのバッググラウンドについて話を聞いた。

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水野亜彩子 / 写真  横山泰介

1993年東京生まれ、湘南・藤沢出身。JPSA公認プロサーファー。2009年弱冠15歳、当時女子プロサーファー最年少記録でJPSAプロ公認を取得し、ルーキーオブザイヤーに輝く。2011年に高校生でJPSA優勝、その後年間ツアーランキング2位に。日本代表としても世界戦にも4度出場。2017年、コンストシーンから引退。現在はサーフィン解説者。ピラティスインストラクターとして活動中。

SURFRIDER FOUNDATION JAPAN (以下SFJ ):水野さんは小学校に入学するタイミングで、東京から湘南・鵠沼海岸に引っ越してきたそうですが、サーフィンを始めたきっかけを教えてください。

小学校が海沿いだったので、学校の行事や道徳の授業も海にかかわることが多かったんです。友達の親もサーフィンがうまい方が多いので、遊びの中で「じゃあ、サーフィンをちょってみよう」みたいな自然な感じで始めました。小学3年生でしたね。海から陸を見る感覚や不安定な波の上に立つというのが、日常では絶対味わえない経験で、とても面白かったことを覚えています。

SFJ:小学6年生からコンテストに本格的に出るようになったそうですね。

ちょうど茅ヶ崎で子どもの大会が行われていて、誘ってもらって出たんです。ですが、1本も乗れないで負けてしまい、それが悔しくて。それで「本格的にやりたい」とスイッチが入りました。で、中学校に入学するタイミングで、部活もやらずにサーフィンだけやっていました。サーフショップに属していたこともありましたが、同級生にすごくうまい男の子がいたので、彼を中心に夕方、学校が終わったらみんなで自転車で海に行くという感じでした。プロを目指そうとは、その時はあまり考えてはいませんでした。それよりも「とにかく出る試合に勝ちたい」という思いが強かったですね。

SFJ:ですが、当時の最年少記録15歳でJPSAのプロ資格を取得されました。

それこそ本当に大会が楽しかったので、「経験として大会に出たい」という感じで。まさかプロになれるとは思っていませんでしたが。

SFJ:2011年には高校生で初優勝も飾りました。プロサーファーとしてキャリアを振り返ってのハイライトは。

どうですかね……。正直、自分の中では選手生活の中で良い時期があったなというのは、ないかもしれないです。21歳で優勝もできて、年間のツアーランキングも2番になったこともあります。最終戦が2番ならグランドチャンピオンを獲れたんですが、3番で負けてしまい。自分の成績でいえば一番良いけれども、一番嫌な思いもしていて(苦笑)。自分の中ではその悔しさが今も残っているので、サーフィンだけではなく悔しい思いしないようにがんばろうといつも思っています。

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SFJ:2017年、25歳でコンテストシーンから引退されました。まだまだ若いように思いますが。

21歳でツアーランキング2番になってから、グランドチャンピオンになりたい一心でそこにフォーカスしていましたが、その思いとは裏腹に成績は下がっていき、若いジェネレーションが育ち勝てなくなりました。単純にそこで「どうしようかな」となり、大会に関しては面白くなくなったというのが正直な理由の一つです。でも、サーフィンは楽しくて調子が悪いわけではないのに成績に結び付けていかなければというのが、ハマらなくて。でも、中途半端も良くないなと思っていたので、カリフォルニアでフルでコーチングしてもらいました。その時が一番サーフィンが充実していたかもしれないです。何か目的があって、本当にサーフィンがうまくなるために明確な必要なものとか、コーチの方がいることでこんなにやりやすいんだと、充実していて。とても調子は上がったのですが、試合の成績には結び付きませんでした。でも、「すごくサーフィン変わったね」と周りから言ってもらえることが多くなりました。もしかしたら今の自分は勝てたら最高ですけど「うまくなったね」という言葉の方がうれしいかもしれない、と思った時に、自分の中で踏ん切りがついて、辞めました。

SFJ:引退後はABEMA TVのサーフィン番組やWSLで解説者として活躍されています。

ABEMA TVで地元の先輩が働いていていたのですが、シーズンを終えて引退した翌年に「解説をやってみない」と声をかけてもらいました。しゃべるのが下手と先輩にも言われていて、起承転結がなくて話してしまうので「不時着しているね」とよくイジられています。自分でもそう思っているんですが(笑)。解説ができるとは思っていなかったんですが、サーフィンは見るのも好きだし関われるのであれば、と。自分がやってきたサーフィンの魅力を多くの方に伝えられるようにしたいです。

SFJ:選手時代には大会で国内外の多くの海を回っていました、ホームブレイクの鵠沼に対する思いも強くなったのでは、

日本の中では一番のサーフタウンだなと感じます。サーフィンだけでなくビーチを散歩したりランニングしたり、本を読んだりと生活と海がつながっています。日本を旅してきましたが、日常のライフスタイルにこれだけ海が溶け込んでいる地域はすごく少ないと思います。海に入ると、江の島や天気がいい時は富士山と大島が見えて、陸に目を向ければ街があるという景色は、唯一無二で好きなところです。それにここで暮らす人は面白い方が多いですね。「こうならなきゃいけない」というのがないから、想像力が豊富でクリエイティブな人が多いと思います。そういう意味でも、自分のアイデンティティとしてすごく大切な場所ですね。

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SFJ:今後はSURFRIDER FOUNDATION JAPAN のPRディレクターとしても活動していきますが、どのようなことをしていきたいですか。

サーファーが海の変化に一番気が付いていると思います。砂浜がなくなってきているとか、今日はゴミが多いとか。でも、海の環境のいい側面もよく知っています。私の地元の鵠沼も「海が汚れているよね」と言われることがあります。イメージもあると思いますし、実際にそういう時もあります。でも、今では本当に冬とかとても水が奇麗で、波待ちをしていて足の先まで見えます。その変化の気付きは強みだと思うので、そういうところをもっとフランクに発信していきたいです。ゴミゼロやCO2ゼロというところがありつつも、大前提として楽しくなければ継続でませんし、いい意味でハードルを下げて、「ああ、これだったらちょっとできるかもな」と誰もが一つずつできるようなことを発信していければ。

SFJ:最後の質問ですが、水野さんにとってサーフィンとはどんな存在なのでしょうか。

サーフィンはすべての感情を経験させてくれるスポーツ。悲しいことも悔しいことも、うれしかったことも怖かったことも、私は全部サーフィンから教わったと思います。これからも、サーフィンを通してまだ感じたことのない感情を得られるのでは。若い世代のサーファーが夢を持って挑戦できる環境づくりのお手伝いもしたいですね。

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