New!!INTERVIEW-vol.49 Loui Kaninau Espere-Cabebe

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2025年5月18日、鎌倉、長谷寺にて、故タイガー・エスペリの没後20年のセレモニーが執り行われた。ハワイ出身のウォーターマン、タイガーは、伝説的なサーファーであり、オアフ島ワイメアの初代ライフガードの一人だった。またハワイ文化に精通し、カヌービルダーとしても知られ、1975年のホクレア号の処女航海にはクルーメンバーとして参加した。1996年に初めて日本を訪れ、慈悲の女神であり、海の女神であるとも伝えられる長谷寺の観音様との運命的な出会いをきっかけに、翌年再び来日。鎌倉に暮らし、1997年には日本ハワイアンカヌー協会(JHCA)を設立した。タイガーには、「ハワイアンカヌーの建造や航海を通して、自然と触れ合うことで人々の意識が変わり、さまざまな生物との共存や自然環境を守ることの重要性が伝わるだろう」という信念があった。そして「太古の日本人が感じていた自然との精神的なつながりが取り戻されるはずだ」と、健全な地球の未来を次世代へと繋げる活動を、日本で行った。

*Tiger Espere message
https://www.surfrider.jp/kamakura-go/697/

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タイガーが思い描いたのは、大規模な航海カヌー、「KAMA KU RA号」。ハワイ語で「日出(ルビ:ひいずる)ところの子供たち」という意味をもつそのカヌーの建造において、導きと助けを観音様に祈るため、彼は幾度も長谷寺を参拝した。2005年、58歳で人生の幕を閉じたタイガーの没後も、小さなカヌーから始まったプロジェクトは、JHCA理事長、中富浩氏を中心として継続され、その背景にある自然との共存、コミュニティのつながりは確かなムーブメントとなって実現している。

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2011年に南伊豆に流れ着いた大木を使い、2012年、小さなカヌー、MANO(Oの上に_ハイフン)KAMA KURA号が完成。10年以上の時を経て、現在3艇目となる小さなカヌー、FUJI SAWA号を建造中だ。今年、完成予定のこのカヌーは、11月にサーフライダーファウンデーションが主催するイベント、カーニバル湘南で進水式を行う。

今回のセレモニーに合わせて、タイガーの弟、ルイとそのファミリーが来日。JHCAのメンバーや関係者が参列し、ハワイアンスタイルの儀式が長谷寺の境内で行われた。タイガーと親交があった写真家の横山泰介は、ルイとも旧知の仲。彼の滞在中のホテルに訪れ、故人を懐かしみつつも、今回のセレモニーの目的や、没後20年を経て、より色濃く浮き上がるタイガーの描いたヴィジョンを改めて語ってもらった。

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Loui Kaninau Espere-Cabebe /写真 横山泰介

<プロフィール>
ハワイ出身、カウアイ島在住。現在は、ラジオ局で自らの番組のパーソナリティを務めるほか、ローカルテレビ局のプロデューサーとして、ハワイの政治的な問題についての番組制作に携わる。タイガーの遺志を受け継ぎ、JHCAの活動のサポートを行う。タイガー・エスペリのドキュメンタリームービを制作中。

横山泰介(以下横山):タイガーに初めて会ったのは、1990年代、ミナミスポーツが、サーフレジェンドを日本に呼んだときです。彼が会場でチャントを唱え、僕はすごく感動して、そのあと彼のところに行って自己紹介をしました。彼は近い将来日本に滞在したいと言っていたので、僕は自分の電話番号を渡したんです。次の年、突然タイガーから横須賀にいると電話をもらいました。鎌倉でもよく会っていたけれど、それだけでなく、ハワイ、屋久島なども一緒に旅しました。とてもいい思い出であり、大きく影響を受けました。彼はよく言っていました。ハワイの文化と日本の文化は似たところがある。それは宗教感というか、自然の中に神様がいるという概念。石や山など、日本だと八百万の神というのだけれど。すべてのものに神が宿っている。ハワイもきっとそうなのでしょうね。ところで今日は、あらためてルイに今回の来日の目的を聞かせもらおうと思います。

Loui Kaninau Espere-Cabebe (Loui):ハワイでは石のことを「ポハク」と呼ぶのですが、今回はポハクのセレモニーのために来ました。このセレモニーは5年以上かけて準備をしたもので、長谷寺からタイガーに贈られた石を、もとのところに戻さなくてはならないという想いがありました。タイガーが亡くなったあと行方がわからなくなっていた石は、さまざまな人の家を渡り、長谷寺へと戻されることになったんだ。当初、わたしはハワイのカホオラヴェ島に持ってきたいと思っていました。その島には航海のためのヘイアウ(聖地)があります。古代ハワイには、航海士たちが航海に出た先の石「ポハク・ホオケレ」を持ち帰り、ヘイアウ内のその方角を示す位置に置くという風習があったんです。タイガと交わした会話の記憶を辿り、この石は日本をマークするためのものだったということに気づきました。どうしたらカホオラヴェに石を運べるだろうと考え、ホクレアを思い浮かべていました。一方で、わたしはタイガーのメンターであるヘイプアと会う機会があったんです。ヘイプアは「KAMA・KU・LA」という名前をカヌーに命名した人物です。鎌倉に住んでいたタイガーに、ハワイの言葉「KAMA child KU rise LA sun= Child rising sun」だと教えてくれたんです。彼女は「タイガーはKAMA・KU・RA号を完成していないから、ポハクはホクレアではなくタイガーが作ろうとしたカヌーに乗っている必要がある。だからまずは長谷寺に戻した方がよい」と教えてくれました。その石に祈りをこめて戻したいと長谷寺に相談したところ、お寺の取り計らいで、丘の上の海の見える美しい場所に置いていただけることになったのです。

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横山:タイガーが残したこのカヌープロジェクトは、日本で現在も継続されているけれど、あなたの役割をどんなことだと思っていますか?

Loui:2012年に、わたしたちは、JHCAのメンバーと共に最初の小さなカヌー、MANO(Oの上に_以下同)KAMA KURA号を完成させました。それは、タイガーの夢であり、彼が望んでいた大きなカヌー、KAMA・KU・LA号プロジェクトの成功を期した象徴でもありました。わたしは彼がホクレア号や次に作ったカヌーのために行ったことを調べました。タイガーは大きなカヌーを思い描きながらも、それを作る前にまずは「education=知識を授ける活動」が必要だと感じ、そのために小さなカヌー、マカリイ号を作ったのです。小さなカヌーなら学校などに持って行き展示もできるでしょう。最初に七里ヶ浜の駐車場で小さなカヌーを披露し、その存在を知ってもらうことで人々の心を開かせることから始めたのです。日本のほとんどの人がカヌーのことを知らなかったでしょうから、大きなカヌーを突然作るなんて無理に近い話だ。でもタイガーの頭の中には、それを可能にするビジョンがありました。最初に必要なのは「教育」、そして「気づき」であると。

2012年、MANO KAMA KURA 号の完成は、日本でタイガーが発信したムーブメントが前進していることを表すものでした。その頃、JHCAの活動はより勢いを増していました。一方で、当時、わたしにとって人生が変わるほどの大きな出来事が起こったんです。それでJHCAの活動から離れなくてはなりませんでした。それから12年以上も時が経ってしまった。そしてこのセレモニーのために、JHCAの代表のヒロ(中富浩)のところに戻ってきて、彼のもたらした進捗を素晴らしいと伝えました。実践し、歩み続けているJHCAの活動をとても立派だと思います。彼らはまだ大きなカヌーを仕上げてはいないけれど、すでに2艇の小さなカヌーを作り上げ、さらに建造中の物もある(*1)。いろいろな場所にそのカヌーをおいて、それがどのようにして作られているのかを人々が見ることができるようにした。わたしの役割、そして妻のフミ、わたしのファミリーの役割は、必要とあらばいつでもJHCAをサポートすることなのです。今回のセレモニーによって、ヒロをはじめ、JHCAと再び繋がりをもてたことは、新たな活力と気づきだと思っています。ヒロはカヌープロジェクトをもっと先まで進めてくれた。今やニュージーランドや台湾にも広がっているのです。

横山:この秋に完成するFUJI SAWA号に関してはなにか言葉はありますか?

Loui:ほんとうに素晴らしい話だと思います。タイガーが亡くなって20年が過ぎて、彼らがこの活動を続けていること自体が信じられないことだし、その達成と進歩を心から感じています。JHCAは次世代を教育し、コミュニテイを育てている。カヌー建築はコミュニティ全体の強いコミットメントになる。それがタイガーが伝えようとしていたことなんだ。
 
横山:カヌーを通しての教育システムやコミュニティの繋がりといった活動は、ハワイではポピュラーなことなのですか?

Loui : そう、ホクレアがそれを象徴しています。カヌー建築、道案内、航海士たち。ハワイの文化の中で、カヌーはわたしたちの身体、わたしたち自身、わたしたちの島、そして精神を表しているんです。ハワイには「島はあなたのカヌー、カヌーはあなたの島」という言い伝えがあります。カヌーの世話をする方法というのはまさに、自分の島を大切にする方法と同じ。カヌーによってもたらされた気づきは、大きな情熱となって、教育の現場に広がっています。それはハワイの学校教育においても、共通したものがあります。

横山:タイガーの人生を紐解くドキュメンタリー映画を制作中ですが、その想いを教えてください。

Loui:取材を始めて、すでに20年もの月日が流れました。タイガーの人生を弟の目線を通して追いかけた物語。この映画やわたしが辿ったジャーニーの背後にあるエネルギーの源は、タイガーが彼の人生において何を残したかったかを知りたいという情熱だったのかもしれません。果たして彼の存在はすでに終わってしまったものなのだろうか。わたしたちはそれを知るべきだし、残し伝えるべきだと思ったのです。最初の6ヶ月、タイガーを知る人に会うために旅をしただけで素晴らしい出来事や言葉を聞くことができた。あなたもその一人です。タイガーの「サーフィンライフ」、「カウボーイライフ」、「カヌーライフ」そして、彼の「ラブライフ」、多くのストーリーがあります。わたしのジャーニーの目的は、歴史的に顕著な彼の人生を理解するものだったのだと改めて思います。このポハクの儀式が、それを伝える始まりのときなのでしょう。

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横山:日本の人に向けてなにかメッセージがありますか。

Loui:わたしが日本に感じるすべてのことは、タイガーの日本に対する愛です。今回、ファミリーと日本を訪れて、富士山の美しい姿を見ることができて幸運でした。タイガーと一緒に日本にはじめて来たとき、彼は飛行機のシェードを開けて、窓から広がる景色を眺めながらこう言ったんです。「見てごらん。I am home(家に戻ってきたんだ)」。彼はほんとうに日本を愛していた。けれど驚いたのは、日本語を話さなかったのに、どうやって日本で生き延びたんだろうって。きっとハートで感じ合っていたんだね。ただただ日本の人たちへの愛があった。わたしはこのメッセージをみなさんにシェアしたいと思います。この土地が彼の人生においてどれほど宝物だったか、そして冒険に満ちたものだったか。日本の人々に感謝したいです。彼は日本との深いスピリチュアルな繋がりを見つけたのだと思います。長谷寺にも感謝をしています。タイガーは朝早く起きては長谷寺に行き、祈りました。明日ハワイに旅立つ前に、わたしもお寺にお参りに行きます。

横山:Ohanaという言葉。ハワイでも、日本でも、みんながオハナになれる。それがタイガーの魂の想いだったのではないでしょうか。

Loui:そう、タイガーの言っていた言葉があります。「誰か人に出会ったとき、それはただ友達をつくることではないのだよ。家族になるってことなんだ。友達はただ友達というだけだが、家族はあなたの心なのだ」と。それは「受け取る」だけではなく、「差し出す」こと。「Give without take(取らずに与える)」ということ。「取る」ということは、わたしたちには必要ないんだ。

横山:素晴らしい話をありがとうございました。

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(* 1) 今秋完成予定の藤沢のカヌーはJHCAにとって3艇目となり、それ以前に仙台で2艇目のカヌーが完成している。さらに気仙沼にはコロナで作業が休止している4艇目のカヌーがある。これらのカヌーはハワイ島ヒロのカヌービルダーであるアンクル・レイと彼が率いるチーム・ラカの協力がなければ完成することはなく、現在JHCAは彼らと共に歩みながら日本とハワイで活動している。

JHCAの活動
https://www.surfrider.jp/category/kamakura-go/

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