インタビュー

INTERVIEW-Vol.30 玉井太朗 -前編

2021年12月、ニセコのパウダースノーが世界的に注目を浴びるようになったきっかけをつくったスノーサーフィンの一人者、玉井太朗さんを訪ね「GENTEMSTICK」のショールームへと向かった。この冬のニセコは、数年前までの海外からの客が押し寄せていたバブルのようなフィーバーは影を潜め、ただ静かに空から舞い降りる豊かな雪に覆われ始めていた。その傍らで2027年には高速道路の開通、30年にはニセコの隣町、倶知安までの新幹線の開通に向けて、町は止まることなく各所でアコモデーション施設の建築が進んでいる。

自らがプロデュースするスノーボードを通して、SNOW SURFINGの本質を表現し伝え続けている玉井さん。東京、新宿で生まれ、パウダースノーを追求するスキーファミリーに育ち、釣りや素潜りで自然を識ることになった子供の頃から、通って来たこと、思うこと、その視点や行動力には唯一無二の何かが宿っている。その一部を垣間見る機会となるロングインタビューを3編に分けて紹介。今回は、海と山、サーフィンとスノーボードについて話していただいた。

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玉井太朗/写真 横山泰介
スノーボーダー、サーファー、スノーボード・シェイパー1962年生まれ、東京都出身、北海道ニセコ在住。競技者を経て、’98年に自らのスノーボードブランド「GENTMSTICK」 http://gentemstick.com を立ち上げ、ボードの開発をスタート。シェイパーとして活動するほか、映像作品の制作、空間デザイン、エッセイや写真集の発表など幅広いフィールドで活躍。パタゴニア・アンバサダーとして、ボードカルチャーの本質や環境保全の重要性を広く一般に伝えている。

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サーフライダーファンデーションジャパン(以下SFJ): 長年、1% for the Planet(*1)を通じてSFJを支援していただき、ありがとうございます。SFJを支援することに至った経緯と、その思いについてお聞かせください。

 もともと自分もサーファーであったということが最大の理由です。集まっていた仲間も、スノーボードをする人だけでなく、波乗りをしていたり、何かしら海や山に関わっている仲間たちでした。スノーボードをする連中はもともと山(バックカントリー)を滑っていた人たちで、早い時期から山を滑るというのが海で波を見つけて波乗りをするというのと同じ、というような感覚を自然にもっていました。
 自分が雪山でそんな感覚で活動をする中で、パタゴニアが中心となってスタートした「1% for Planet」を知り、ある意味義務というか、自分たちで直接的にやれないことを具体的にやっている人たちを応援したり、組んで何かをするということが重要だと思いました。当時のスノーボード界では、「山をどうにかしましょう」というような自然保護団体はありませんでした。僕らの中には、海も山もすべてひとつのものだという意識があったので、このことをきっかけに海だけを考えていた人にも山を、山だけのことを考えていた人にも海を知ってもらえるかもしれない、と。「なんでGENTEMがサーフライダーファンデーションなの?」と思われるかもしれないけど、そこは逆に、僕らにはその垣根がないから、海を守るということは山を守ることと同じだし、山を守ることは海を守ることと一緒なので、素直に協力していこうと思ったんです。

SFJ : 玉井さんにとっての海と山、サーフィンとスノーボードについて教えてください

 長年スキーをやっていて、雪のことも山のこともそれなりには分かっていたのだけれど、スノーボードという道具に置き換えたときに、スキーでは体感出来ないような面白さがあって、それが波乗りに近いものだったんです。
 小学校高学年の頃、スキーでパウダーにはまっていて、サーフィンをやっている人から「サーフィン楽しいから、太朗もやったほうがいいよ」と言われても、パウダーのほうが最高だと思っていたんです。パウダースノーも滑るサーファーの人たちと、どっちが面白いかって言い合ったり、「サーフボードで雪の上に立ったらどうだろう」という話をしたりも。
 小学校5年生のときに、たまたまテレビでスノーボードで滑る人の16mmフィルムを見たのですが、その中でサーフボードをパウダー用に作っている人がいるのを知り、自分がイメージしたものとピタッと合ったのでびっくりしました。スキーと全く違う雪山の遊び方。当時、サーフィンはまだやっていなかった。大分経って、19歳の頃からです。
 でもそれまでも海は好きで、夏は素潜りをしていました。綺麗な所が好きだったので、八丈島や与論島などアイランドホッピングしていました。スクーバーダイビングのライセンスももっていましたが、やはり素潜りのほうが面白い。だからタンクを背負ってというのはあまりやりませんでした。
 10代は、冬はスキーばかりやっていて。でもある日、サーフィンに出会って、「こんなに面白いものはない!」と手のひらを返したような状態に。中学生くらいからスキーをしに毎年山にこもっていましたが、その最初の冬は山に行きませんでした。とにかくサーフィンだけ。千葉に行って「波に力があるな!」と果敢に入ったりしていたし。当時は冬の湘南は人も少なくて、水もきれいでしたね。「釣りも潜りも波乗りもできる!」と伊豆の知り合いの家にもよく行っていました。
 サーフィンと出会って、そんな状態になり、次の冬には「そういえばスノーボードってものがあったよな」って思い出し、ボードを探して、スキーとスノーボードの両方を雪山に持って行ったんです。でももうスキーには乗らなかったですね。スノーボードがあまりに面白くて。80年代の前半、記録的な大雪が3年間続いたんです。ちょうど上越にいて、石打とか湯沢で、例年3−4メートルのところが8−9メートルの積雪。恐ろしい年でした。パウダー以外で滑った記憶がないし、ほかに滑っている人もいないから、30分でノートラック!そのシーズンを送って、板をすぐに改造し始めて、「あれはこうだ、ああだって」やりましたね。すごい出会いでした!
 最初にフィルムを見て以来ずっと頭のどこかにひっかかっていて、「多分これを自分は絶対やることになるんだろう」と思っていたけれど、やってみたらサーフィンを始めた頃と同じでした。だからね、ちょっと迷いました。スノーボードに行くべきか、サーフィンに行くべきか。だったら両方やろうって、SNOW SURFING 。どっちも一緒だろ、と。選んでいる場合じゃない。雪があれば雪、波があれば波。その時、そう悟ってしまったんです。
 当時はスノーボードという言い方ではなく、「スノーサーフィン」でした。スノーボーディングというジャンルはまだなくて、もともとは雪山でサーフィンをしたいという人たちから始まったもので、僕はそれをずっとやっていました。スキーのブームが去って、スキー人口が減ってきて、たまたまそんなタイミングと「スノーボード」が出てきた時期が重なって、一気にスノーボードの人口が増えた。当時のスノーボードは、スケートボードブームと重なって、スケートボードを雪山でやるというイメージ。スタートはそんな感じでしたね。
 実は、僕らが始めた頃と次に始めた人たちとの間には、そんなギャップがあって、道具も違っているし。次の時代から始めた人にはそれ以前(スノーサーフィンとして始まった頃)を知らないから、昔のもの、古いものというイメージだったのでしょう。でも当時から必ず僕たちと同じように雪山でサーフィンのイメージで楽しむ人が増えるんだろうなと、どこかで分かっていました。そっちが本質だと思っていたからです。

*1. 1% for the Planet は、自然保護活動の必要性を理解する企業の同盟。2002年、パタゴニア社の創設者イヴォン・シュイナードとブルー・リボン・フライズ社のオーナーであるクレイグ・マシューズが、自然環境保護に貢献するビジネスの奨励を目的として設立した非営利団体。

中編に続く

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